門松

こんにちは、2年の日暮です。

 

 時が流れるのは早いものでもうすぐお正月ですね。皆さんはどのようにして過ごされるのでしょうか?私の家では親戚が集まりおせちなどを食べたりします。
 さて、今回はお正月にしばしば見かけられる門松について書きたいと思います。
 門松といえばあの桶のような部分から竹が出ているものですが、実はあれには年神がやってくる際の目印、憑代としての役割があると言われています。もともとは、新年を迎える際に、年神が下りてくる際の目印として木を立てたのが始まりと言われているそうです。

 特に松が飾られるようになったのは平安時代からで、それまでは杉なども用いられていたといいます。松に限られるようになったのは、松は古くから神が宿る木と考えられていたからで、この時代の末期には、農村でも正月に松を飾るようになったと言われます。

 さらにここにまっすぐに節を伸ばす竹が長寿を招く縁起物として添えられたとのことです。ちなみに、この竹はもともとそのままの円柱の形で立てられていたそうですが、かの有名な徳川家康が生涯で唯一敗北した相手武田信玄に対して「次は斬る」との念を込めたのが現在の形となった始まりだそうです。

 

 次に主役ともいえる大事な年神様について少々ご紹介したいと思います。

 明治六年に太陽暦が採用され、本来より1カ月近く正月が早く来ることになりましたが、昔は正月は何もかもが新しくなるめでたい月であると考えられていたそうです。冬至は一年で一番短い日であり、自然が枯れて、ものみな衰える時と考えられていました。それを人々はカミの衰えによるものと受け止めたそうです。つまり、冬から春への自然の推移を、カミの衰え・こもり・再誕ととらえたという事です。
 正月にはその新しく蘇ったカミが、年神様として人々のもとにやってきて、これからの一年を言祝いでくれると考えられていたそうです。そのカミを迎えるために門松を立てたという事です。

 

 どうでしょうか?現在何気なく置かれている門松ですが、昔の人々はその一年の豊作や健康を祈り気持ちを込めてかどまつをおいていたようです。今でこそ店で気軽に買える門松ですが、昔は新年を迎えるための準備をして、山まで木を切りに行って自分で門松を作っていました。新年のための準備と言いますのは、まず12月の13日頃に煤払いをして、そこから物忌みに入ったということです。そして、山まで木を取りに行くという事には、祖霊を家へ連れ帰るという大切な意味があります。ここから年神が氏神信仰と習合していることが読み取れます。氏神信仰に死んだらある一定期間の後霊は山へ帰るとされていたためです。新暦になり数え年でなくなったという事も新年のめでたさを減少させた一因とされています。
 年神についてより詳しく説明するためには、年神がやってくる恵方について説明しなければなりません。しかし、それには陰陽五行説や易経についても解説しなければならなく長くなりそうなのでここでは割愛させていただきます。
 

 日本人らしいといったイメージが持たれているお正月ですが少し調べてみると、様々な思想(それは日本だけでなく大陸のものも含まれます)が絡み合っていて一筋縄ではいかないと思いました。そのごちゃごちゃしながらも民間に時間をかけて浸透してきた宗教が暦の変更による自然の感覚からの離れ、敗戦による内外からの宗教的なものの弾圧、危険視等により、さらに日本らしさというものがよくわからないものになってしまったのではないかと私は思います。よく分からなくてもいいじゃないかと考えたこともありましたが、やはり海外との関わりが大きな比重を占めてきた今、自国がどのようなものであるかをある程度明確にしておく必要が、あるのではないかと考えます。
 クリスマスやお寺参りなど日本人は宗教に関し節操がない国だとよく言われますが、歴史を紐解いていくことにより、その理由や日本という国についてきちんとした見識が得られるのではないかと考えます。
 門松から始まり話が少々大きくなりましたがこの辺りで切り上げさせていただきたいと思います。
 それでは、皆さん良いお年を!

 

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コメント: 1
  • #1

    tutaj (火曜日, 31 10月 2017 23:31)

    autolakiernia