偏差値という魔力

こんにちは

神奈川大学合気道部

4年の林です。

 

 

みなさま「学歴」と聞くとどのような印象を持つでしょうか?

または「偏差値」とはどのようなものとお考えでしょうか?

 

学歴、もっと言えば偏差値というものはいわば一個人の能力を計る指標と考えるのが一般的な解釈だと思われます。

実際、多くの人が、例えば大学を選別するために利用する数値ではないでしょうか。

 

偏差値というものは学力を相対的に計ったものです。

しかし、この数値。単に学力のみを計る数値でないのではないかと考えるようになりました。

 

そう考えるきっかけとなったのは、他大学の合気道部と神大合気道部との“差”です。

神大合気道部といえば創部50周年という伝統を誇っています。

一方で目立つのは部員数の少なさでしょうか。

 

実際問題、他大学、特に偏差値上位大学の合気道部の部員数2030人は当たり前。

どこもかしこもというわけではありませんが傾向として多いように感じます。

ではそのような差はなぜ生まれるのでしょうか?

 

根本的な問題として単純な学生の質ではないかと思います。

すなわち、学内ひきこもりの学生が非常に多いということです。

 

学内ひきこもりとは、全部の授業に出て友達が一人もいない学生のことです。

そしてそういった学生は「4ない学生」とも言われます。

「友達がいない」「サークルに入らない」「ゼミに入らない」「アルバイトをしない」

こういった学生は自宅と大学を行ったり来たりの日常になります。

とにかく非常に制限された小さな人間関係の中でしか生活をしようとしないということです。

そしてそれが3年後4年後、いわゆる就活というやつに振り回され、結局就職できない要因として深刻な問題となっているようです。

 

集団といえば人間関係が存在します。

その中には自分と気が合う人・そうでない人といます。

特に自分とは気が合わない人と同じ集団の中でどううまく付き合っていくか。

それは部活であったりアルバイトであったりゼミであったり、人間関係の中でしか醸成されません。

民間企業・公務員に限らず、まさにそこが学生に試され、求められていると言われています。

 

そしてそのことと偏差値とにどのような関係があるのか?

 

偏差値とは先にも述べたように相対的な数値です。高ければ高いほど優秀とされています。

何が優秀かと言えば、学力はもちろんのこと、行動力・意識度に関しても言えるのではないかと思います。

意識が高ければその分高い意識の行動が伴います。

若干オーバーに言うならば、心身を鍛錬し強固な人間性を錬成するために合気道を始めようとか・・・

いまどきそんなことを考えている人は正直いないですし、いたらちょっと引いてしまいますが、究極はそういうことだろうと考えています。

要は自分に投資ができ、それが先々でどう結果として発現できるのか。どうアクティブにポジティブに行動できるか。

 

10年前の神奈川大学の偏差値は約60。決して低くはありません。

そして当時の部員数は約20名。今の2倍ほどです。

 

このような現象は珍しいとかではありません。

実際、現在偏差値50代の神奈川大学にも非常に優秀な学生はいますし、逆に偏差値が高い割にどうしようもない学生もいるそうです。

そこがネックであったりもします。

ある意味、偏差値を売りにしているのにどうしようもなく世の中に鬱屈してネガティブな人が入学してくるという話も聞いたことがあります。

 

何にせよ偏差値だのなんだのと少々差別的な言葉を出してきましたが、他大学を評価・非難したり、神奈川大学がどこよりも優秀だとかを言いたいわけではありません。

ましては神大合気道部が偉いというわけでもありません。

ここから何を生み出そうというわけでもありません。

 

そういう現実があることを、そういう現状が推察されうることみなさまにお話ししたかったまでです。

もっと神大合気道部が、神奈川大学のあらゆる団体がアクティブにポジティブになったらいいなと思う今日この頃です。

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コメント: 2
  • #1

    sex telefon (火曜日, 31 10月 2017 20:49)

    capriccioso

  • #2

    sex telefon (水曜日, 01 11月 2017 02:42)

    nonszalancki