信頼の鬼

こんにちは、神奈川大学合気道部2年の窪川です。

8日から始まった夏合宿が終わってから一週間が経ち、この度はその時に考えたことを述べたいと思います。


 今年の合宿では、というよりは合宿になってようやく1年と2年の違いについて考えさせられました。


話のきっかけとして、合宿少し前の話をしたいと思います。

これは神奈川大学合気道部のブログを閲覧したときのことなのですが、7月のH先輩の投稿欄の文章に“先輩は鬼を演じなければなりません”とあり未熟な自分はその時それを見て、1年にはなんだかんだと雑用をやらせなければならないと解釈してしまい、“別に鬼にならなくとも2年でも暇だったら手を貸してやればいいじゃん”とか考え軽視しておりました。大変失礼しました。


 さて、去年の自分は合宿先のフォーシーズンにて合気道部1年として、活動しておりました。

1年の仕事については全権を1年に任せる」と言ったH先輩の言葉がまだ耳に新しいです。 その時の自分の心境としては「1年だからこういうのは当たり前」という感じで自分に与えられた仕事を黙々とこなそうとしか考えていませんでした。

 

 しかし2年目の合宿になって、1年の時にただ単に仕事をこなそうとしかしていなかった自分は不安定な状態に陥ってしまいました。

 何が自分をその状態にしてしまっているのか・・・それは、自分は大した仕事をしていないのではないのかという考えに囚われてしまっていたということだと思います。その時は、焦りに焦り一時は去年の方が安心感はあったとか、回避行動で一年の仕事を手伝おうかと考えたり、先輩として非常に落ち着きがなかったと反省しています。


 そういう状況の中、合宿2日目に上記のブログのことを思い出して改めて考えてみました。

なぜ鬼なのか、なぜ去年先輩は全権を任せると言ったのか、もし2年の自分が1年の仕事に手をつけたらどうなるか、1年はどんな思いで合宿を過ごしているのか、何を感じるのか、1年と2年はどこまでが境界線なのか、1年の仕事が去年自分が体験したことならば今2年の自分の立場はなんなのか、何をすべきなのか。


 結論、先輩は最極力1年の仕事に手をつけてはいけない。

仮に、自分が完全に1年の仕事に首を突っ込んでいたらどうなるか、自分は働き者?優しい先輩?生温いと思います・・・はっきり言って結果的にただの迷惑者にしかならないと思います。

 

 なぜならば、今の1年の苦しみは将来の楽しみに変わるものだと思うからです。

同期のNくん、Kくんを見ているとそれがよくわかります。

2年、3年になってあの時の苦しみを、苦しかったね~と分かち合える時に上の先輩が首を突っ込んでいたらそこに水を指すだけでせっかくの苦労も水の泡でしょう。


 ならば、先輩は心を鬼にして“1年頑張れ”と1年の仕事を応援することしかできませんね。 1年が仕事をやり遂げられると信頼しつつ鬼のように振舞うしかない。まさしくH先輩がブログで述べていた通りでした。


最後に、先輩がすべきことは・・・うん、言うまでもないと思います。

 

長くなってしまいました。以上で失礼します。